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第5回『中江藤樹の里巡り・「吾兵衛」の郷土料理・高島市散策』
世話役:國領朝輝(M36)
開催日: 2009年5月10日(日) JR安曇川駅にAM10:00集合、最終道の駅「藤樹の里あどがわ」AM10:15集合
場 所: 高島市安曇川
参加者: 22名
内 容: いつも雨に降られ閉口しておりました同好会「ウォーキング&小旅行」行事、第5回目はついに絶好の行楽日和に恵まれて開催する事が出来ました。今まででは最も多い22名の人に集まってもらい、中江藤樹の里巡り・「吾兵衛」の郷土料理・高島市散策を楽しみました。
JR近江高島駅前のガリバー像
<JR近江高島駅前のガリバー像>
 今年は「ウォーキング&小旅行」同好会始まって以来、初めて琵琶湖の西側に足を伸ばし、電車利用の人はJR安曇川駅にAM10時集合して、徒歩(約10分)で車利用の人と待ち合わせの道の駅「藤樹の里あどがわ」へ向いました。道の駅にAM10:15到着、車利用の5名の人と合流して、今回のイベントに参加する22名が全員揃いました。
 道の駅からは予めお願いしていたボランティアガイド中井さんの案内で、中江藤樹の里巡りをスタートしました。中江藤樹は滋賀で育った人には、名前程度は記憶にあっても、詳しい人物像は知らない人が多いと思いますが、記念館でもらった案内書によると・・・江戸時代初期の儒学者。数多くの徳行によって没後に‘近江聖人’とたたえられ、その思想の特徴から“日本陽明学の祖”といわれる・・・ とありました。

先ず、日中友好交流のシンボル「陽明園」に入って、はい!記念写真でした。陽明園は、昭和61年から始まった王陽明(1472-1528)の生地である中国浙江省余姚市と、中江藤樹(1608-1648)の生地滋賀県安曇川町との友好シンボルとして建設された中国式の庭園です。
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「陽明園」内での記念写真
<「陽明園」内での記念写真>
「陽明園」内での記念写真
<「陽明園」内での記念写真>
「陽明園」の入口ゲート
<「陽明園」の入口ゲート>

庭園を出て、一行は「中江藤樹記念館」へ、記念館は中江藤樹生誕380年を記念し、旧安曇川町が昭和61年に建設し、第1展示室は小企画展と藤樹神社宝物を中心に、第2展示室は中江藤樹の遺品・遺墨を中心に常設展示されています。
「中江藤樹記念館」内でボランティアガイド中井さんの説明
<「中江藤樹記念館」内での説明>
「中江藤樹記念館」内での説明
<「中江藤樹記念館」内での説明>
藤樹書院の模型
<藤樹書院の模型>

続いて「藤樹神社」へ、滋賀県知事が全国に浄財を募り大正11年に創立、第一鳥居の扁額文字は東郷平八郎で、社宝に昭和天皇の皇后が学生時代に書かれた作文「吾が敬慕する人物中江藤樹」があるとのことです。
「藤樹神社」前で説明
<「藤樹神社」前で説明>
「藤樹神社」前で説明
<「藤樹神社」前で説明>
「藤樹神社」
<「藤樹神社」>

天台宗真盛宗寺院の玉林寺に中江藤樹の墓所がり、儒葬による墓には中江藤樹とその母親、三男が祭られ国の史跡とか・・・、父親と長男は???
中江藤樹の墓所前での説明
<中江藤樹の墓所前での説明>
中江藤樹の墓所前での説明
<中江藤樹の墓所前での説明>
天台宗真盛宗寺院の玉林寺
<天台宗真盛宗寺院の玉林寺>

中江藤樹の里巡りの最後は「藤樹書院良知館」で、中江藤樹が生家に開いた日本最古の私塾です。
 “万民ことごとく天地の子なればわれも人も人間のかたちあるほどのものは、みな兄弟なり” 人間は生まれながらに天から得た良知と呼ばれる美しい心を持っています。 しかし、それは我欲によって覆われていますから絶えず磨き続けて鏡のように輝かせる努力が大切です・・・「致良知」
 なごやかな顔つきをし、思いやりのある言葉で話しかけ、澄んだ目でものごとを見つめ、耳を傾けて人の話を聞き、まごころをもって相手を思う・・・「五事を正す」
書院建物の外観
<書院建物の外観>
書院内で位牌の説明
<書院内で位牌の説明>
書院内の「中江藤樹」の像
<書院内の「中江藤樹」の像>


藤樹の里巡りの後は、この同好会特有の珍しい料理を食するお楽しみの昼食会です。 今回は安曇川から更に山奥の朽木中学で、現在も講師を勤めておられる山中さん(36年機械卒)にお世話になって郷土料理「吾兵衛」を紹介して頂きました。
「吾兵衛」は素朴な味、懐かしい味が売り物で、四季折々マスターが旬の素材を使った珍しいメニューを用意していて、今回も‘鯛のせいろ蒸し’や‘旬の食材天婦羅’は絶品でした。 
「吾兵衛」で幹事の挨拶
<「吾兵衛」で幹事の挨拶>
柳川風の料理
<柳川風の料理>
鯛のせいろ蒸し
<鯛のせいろ蒸し>
旬の食材の天婦羅
<旬の食材の天婦羅>
旬の食材の天婦羅
<旬の食材の天婦羅>
郷土料理「吾兵衛」前で記念写真
<郷土料理「吾兵衛」前で記念写真>

高島まちおこしのシンボル‘びれっじ1号館’に午後3時到着、散策のボランティアガイドをお願いした三宅さんが待っていてくれて、早速市街散策に入りました。
 琵琶湖の西、京都から北へ50kmの高島は、日本最古の大乱‘壬申の乱’の古戦場として知られ、また京の都と北陸日本海を結ぶ交通の要所として栄えてきました。近江商人の先人とされる高島商人は、織田信澄が大溝城を築城した天正六年(1578)には早くも店を構え始め、伊賀上野の分部光信が大溝城2万石の城主となって城下町を整備して行くうえでも重要な役割を果たしたと伝えられています。
ボランティアガイド三宅さんによる市内散策
<ガイド三宅さんによる市内散策>
ボランティアガイドによる市内散策
<市内の散策>
ボランティアガイドによる市内散策
<市内の散策>
乙女が池
<乙女が池>
歌碑の説明
<歌碑の説明>
大溝城跡で記念写真
<大溝城跡で記念写真>
 高島市街約2時間の散策を終えて、重い足を引っ張りながらJR高島駅に予定の午後5時に戻ることができましたが、正直なところ飲食後の散策2時間は疲れましたね。 次回の計画時には充分考慮します。

 今年の「ウォーキング&小旅行」行事は好天気に恵まれ、多数の方に参加してもらって、成功裏に終わることが出来ました。 これもひとえに「吾兵衛」を紹介して頂きました山中さまをはじめご参加の皆さんのご協力によるものと感謝しております。 来年は「天下分け目の関ヶ原」の歴史検証を行おうとの話題も持ち上っています。 今年同様に沢山の方と楽しいイベントが、開催出来るよう願っております。
<世話役のひとり言>
 参加者が22名ともなると一目で全員が読みきれず、都度カウントしなければならないんです、これには参ったね。 以上