戻る
第6回「関ヶ原合戦・歴史探訪ウォーク」
世話役:國領朝輝(M36)
開催日: 2010年5月10日(月) JR関ヶ原駅にAM10:15集合 ※開催案内のチラシ⇒
場 所: 関ヶ原市関ヶ原合戦の地
参加者: 23名
内 容:毎年のことながら「ウォーキング&小旅行」の行事開催日はお天気が心配されるなか、今年は関ヶ原在住の高木正宣氏(機械 ・36年卒)のお世話になり、暗雲立ち込める天下分け目の関ヶ原合戦の地へ歴史探訪ウォークに出かけました。
 集合場所はレトロな雰囲気の残るJR東海道本線「関ヶ原」駅に10:15無事22名(今回はガイドの曽我さんを加え過去最大の25名の参加予定者になりましたが、体調不良者2名発生)が全員揃いました。
*印は画像をクリックすると拡大表示します(戻りは画像をクリック又は、「Back」ボタンをクリック)
集合のJR関ヶ原駅
<集合のJR関ヶ原駅>
集合のJR関ヶ原駅
<集合のJR関ヶ原駅>
  あいにく当日は月曜日のため関ヶ原合戦の歴史資料を展示している「関ヶ原町歴史民俗資料館」には入れませんでしたが、地元の‘せきがはら史跡ガイド・関ヶ原町歴史を語る会’でボランティアガイドをしている曽我治太郎氏(機械・30年卒)の案内で史跡を巡りました。
 先ず駅からすぐ近くの「東首塚」松平忠吉・井伊直正陣跡で、ガイドの曽我さん手作りの暖かみの伝わる資料をかざして関ヶ原合戦・東西両陣営の展開模様の説明を受けました。
ガイドの曽我さんから詳しい説明を受ける
<ガイドの曽我さんから詳しい説明を受ける>
ガイドの曽我さんから詳しい説明を受ける
<ガイドの曽我さんから詳しい説明を受ける>
<説明の概要>  慶長5年9月15日の合戦で、家康の四男松平忠吉・後の彦根城主井伊直政が約6,000の兵で陣を構えたところで、午前8時頃軍監・本田忠勝より開戦を促され、直政、忠吉を擁して前進し、宇喜多秀家の前面に出たが、先鋒は福島正則であると咎められ、方向を転じて島津義弘の隊に攻撃・開戦の火ぶたが切られた。
 関ヶ原町の庁舎の横をウォーキングしながら通り抜けると、笹尾山のふもとの田畑が広がる中に決戦地の石柱が立っていた。合戦最大の激戦が繰りひろげられ、石田三成が最後まで応戦した決戦地である。
史跡「関ヶ原古戦場」石柱前での皆さん
*史跡「関ヶ原古戦場」石柱前での皆さん>
参加の皆さん
*参加の皆さん>
  西軍の石田三成は、関ヶ原が一望できる笹尾山に陣をかまえ、竹矢来を二重に張りめぐらし、前面に島左近・中間に蒲生郷舎を配置した。現在の笹尾山の展望台に登ると合戦の地が一望に捉えられ、天下分け目の大戦が行われた地が意外に狭いことが良く分かり、この狭いところで東西両軍合わせて15万以上の兵と馬がせめぎ合い、まして明け方は霧に阻まれていたそうだ、大混乱の中で疑心暗鬼の合戦だったに違いない。
   後年、明治政府の軍事顧問であったドイツのクレメンス・メッケル少佐は、関ヶ原合戦の陣形図を見て即座に西軍の勝利と断じたとの事だ、鶴が翼を広げ、あたかも敵を包み込み壊滅させる理想的な「鶴翼の陣」を構築していたからだ。
  笹尾山の展望台で全軍の布陣を眺め説明を受けていると、やはりこれは豊臣同志の‘内輪の戦い’・・・・東軍の前衛は元豊臣の中枢軍ばかり・・・で始めて、‘身内の裏切り’・・・小早川秀秋は豊臣家の親戚筋 ・・・で終えてしまったのではないか、一体家康は何だったのかと思わずにはいられなかった。
ガイドの曽我さんから詳しい説明を受ける
<ガイドの曽我さんから詳しい説明を受ける>
笹尾山の展望台
<笹尾山の展望台>
  笹尾山を下りて昼食会場「れすと(麗守都)関ヶ原」までタクシーに分乗して移動し、参加者の本日もう一つのお目当て美味しい昼食は、大きな池が見渡せる眺めの良い部屋を貸り切って、使用のブランド牛証明書付き‘しゃぶしゃぶせいろ蒸し料理’でした。口の肥えているグルメの参加者に満足して貰えるか、いささか心配もありましたが、皆さんお肉も柔らかく蒸し料理もOKとのサインに一安心でした。  なぜか途中からお肉が一人前追加配布されて、コレステロールの心配も何処へやら美味しい美味しいと全部胃袋に収まったようです。
 お食事も一段落したところで「ウォーキング&小旅行」恒例の参加者全員による‘一口スピーチ’が始まり、今回は初参加の方も多く(5人)会場を盛り上げてくれました。
参加の皆さんの一口スピーチ
*参加の皆さんの一口スピーチ>
伊吹山の麓のれすと(麗守都)関ヶ原
<伊吹山の麓のれすと(麗守都)関ヶ原>
  昼食をする頃からあいにく小雨が降ってきたので、午後のウォーキングコースを変更して、昼食会場にて曽我さんの歴史講座(石田三成・宇喜多秀家の敗走路、島津隊の退却経路)について説明を受けました。
昼食会場にて曽我さんの歴史講座
<昼食会場にて曽我さんの歴史講座>
昼食会場にて曽我さんの歴史講座
<昼食会場にて曽我さんの歴史講座>
  午後3時30分未だ小雨は残っていたが、徳川家康が最後まで東軍の指揮をしていた所で、戦いが終わってからは敵方の首実検をした場所(現在は陣場野公園)へ移動して、当日締めくくりのガイドの説明を受けました。陣場野公園から徒歩でJR関ヶ原駅へ向かいほぼ予定の16:10現地解散をすることが出来ました。 お世話になった曽我さんや高木さんご夫妻へ一同心からお礼を申し上げ電車に乗り込みました。
 電車に乗り込むとほぼ同時に次回の行事予定に話題がかわり、第7回目の来年は初めて滋賀県外へ足をのばし、古都奈良を杉本さんに案内してほしいとの要望で纏まりました。 以上