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第2回フォト同好会「日吉大社・西教寺周辺の紅葉の撮影会」
報告:山添 栄造(37年機械卒)
 
当初の予定は11月25日(火)でしたが、急きょ都合が悪くなり21日(金)に変更して実施しました。参加は内片会長と私の二人でした。
 朝、自宅を出る時は、快晴でしたが坂本に着くころには曇り、日吉大社の鳥居をくぐる頃から小雨がひとひとと降り出しました。小雨が降る撮影も場合によってはよいのですが、やはり太陽の光の当たった紅葉の裏側からの綺麗な写真をと期待していましたがダメでした。  昼食後は約1km北にある西教寺に行きました。 ここではようやく少し晴れ間も出て、太陽の光が当たる紅葉の写真を数枚撮ることができました。
 しかし、編集後に見ますとどの写真をみても一般的なもので、これと言ってよい写真がありませんでした。  自分なりによいなぁーと言える写真はなかなかないものです。 とりあえず、掲載しましたのでご笑覧ください。 但し、下の4枚は内片会長の写真です。
日吉大社西教寺の概要(公式サイトから引用)】
<日吉大社>
御祭神:東本宮 大山咋神(おおやまくいのかみ) 西本宮 大己貴神(おおなむちのかみ)
御神徳:: 魔除け、厄除け、鬼門除け/家内安全/商売繁盛
 比叡山延暦寺の開寺と共に、山王大権現と呼ばれ、天台宗護法神・延暦寺の鎮守神となる。その後天台密教の拡大と共に山王信仰が全国に広がり、全国約3800山王社の総本宮となる。また、日枝神社や日吉神社は、全国各地の城郭の鬼門を守護する意味で祀られた。現在の本殿は東本宮が文禄4年(1595)、西本宮が天正15年(1586)の造営で東西本宮本殿は、日吉造という独特の建築様式。両本殿とも国宝に指定され、拝殿等、境内のほとんどの建造物が重要文化財に指定されている。4月12~15日の神の結婚・出産を現す日吉山王祭は有名である。
<西教寺>
 正しくは天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺 (てんだいしんせいしゅうそうほんざんかいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)と言う。聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられている。その後、久しく荒廃していたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とした。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになった。鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされた。以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となった。
 戦国時代、織田信長(1534-82)による延暦寺焼き討ちで焼失したとき、明智光秀(1528-82)が総門・庫裏(くり)などを寄進した関係で、境内には、光秀一族の墓がある。
第2回フォト同好会「紅葉の撮影会」の写真集
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