<39クラス会に参加の皆さん>
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半世紀振り、あれから40年ではなく50年、浦島太郎みたい。やっとのことで第1回目のクラス会を5月31日に開きました。
私達の卒業した昭和39年(1964)は、まさに日本が高度成長期に突入した時で、東京オリンピックが行われ その6年後には、大阪万博が華々しく開催されました。クラスの全員が工業関係の会社に入り、日夜仕事に没頭した企業戦士であります。
当時クラス39名中既に亡くなった人11名、住所不明が6名。会が始まる直前には、学友のご冥福を祈り黙とうをしました。
6月1日に県大で学友会総会もあることで、この機会に前泊しクラス会を計画しました。場所は思い出多い彦根城がみえる、琵琶湖のほとりの「かんぽの宿彦根」に10名集合。
どこかで出会っても、絶対分からないと思う顔もありましたが、直ぐに学生時代に戻り打ち解け、酒盛り、カラオケ、思い出話に時の経つのも忘れました。 50年間の凝縮された話題は尽きず、各自近況を話す中、海外勤務の楽しかったこと、死ぬほど辛かったこと、お寺の話、病気の話 等々。
まだ現役で陸上競技での記録に挑戦している人、学生時代に詩吟クラブでうなった人が、今なお続けて師範の人、和食レストランをやっている人、神社仏閣を巡っている人、絵画の個展を開いている人、悠々自適で毎日を趣味で謳歌している人、今なお現役で仕事をしている人、地域の世話役、ボランティア活動をしている人、農園で野菜栽培をしている人など、まだまだ元気はつらつです。
翌朝は全員疲れた顔もなく、次回2年後にも、元気で再会を約束して解散した。 翌日は総会に出席するもの6名と、同泊されていた2年先輩とかんぽ宿のマイクロバスに便乗し県大に向かいました。
「クラス会 世紀に見合う 出会いあり 皆の心根 我が身に滲みる」小林輝雄さん作